10 July, 2010

ジャンルを規定するメリットはなんだろ

能は音楽かダンスか演劇か?オペラはどうだ?どれでもないし、すべてを含んでいる。ケチャや花祭りは儀式であり、踊り、音楽であり、コミュニティーをつなぐ「場/イベント」としての機能でもある。そこに出来上がった表現のあり方を何と呼ぶかは大切な事ではない。ただし思考の回路を研ぎすまし言語化する事は、偶然の産物でなく、それを再び繰り返すための技術を持つ事に繋がる。

ジャンルを名付けることを評論家に任せるのもひとつのやり方だが、その名付けを作家自身がすることで発想/アイディアの独自性を主張するのもひとつのやり方。村上隆さんのスーパーフラットを持ち出すまでもなく、ワグナーの楽劇だって、ピナバウシュのタンツテアターだって同じ事だ。それはきっと、広い意味では前からあったもの。でもそこに新しい概念conceptを掲げる事で、鑑賞者だけでなく作家自身もより前進して解釈する/創造を続ける意欲を強めることができる。

日本画というジャンルが素材や手法でがんじがらめな反面、担保されているのは、モノを離れた情報価値=商品の説明のための簡略化。どんな作品をつくっているのか、という質問(潜在的な未来の顧客を含む人からの)に対して明快なイメージを与える事はとても難しいものだが、そうした点でみると、様式化されたジャンルというのは、コミュニケーションの円滑化に大きく役立つことは現実にある。

作り手にとって、様式formを探すことと差異化を進めることは二つの大きなベクトル。様式を探すには変わり続けなければならない。差異化を進めるためには、マニアックに特化し絞り込み固まっていかなければならない。広げる作業と、深く掘る作業とも言い換えられる。何かの枠をつくることは、そのジャンルにおける専門性、いわゆる技術を高める。日本語という言語の壁がガラパゴスのような日本独自の携帯電話の進化を促進させたように、特化する領域を持つというのは、安心と成長に欠かせないものかもしれない。

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