20 March, 2011

情報と体験 -「私たち」の震災として As Our Disaster

一週間以上経った今でも物資が届かず寒い中避難している人たちもいるという。どうか早く必要な支援が届いて欲しいと思う。あと少し、持ちこたえて。。

避難所で過ごしている友人や、東北に親族のいるオランダ在住の友人、妻の家族は関東で停電や買い占めで影響が出ているそうだし、ニューヨークへ避難した友人もいたりと、日本に縁のある本当に多くの人たちに衝撃を与えている。95年の阪神・淡路大震災の時、僕は中学生でまだ社会的広がりがなかった事を差し引いても、やはり大きな違いが今回の震災にはあると思う。日本全体が精神的に被災したような気がするのだ。

11日の東日本大震災の発生以来、ニュースにかじりついていた。ツイッターでは最初の頃から@itokenstein さんが細かい分析を交えて情報を書かれていたのがとても参考になった。彼をはじめ、フォローしている人たちのおかげで、ツイッターから有益なリンクや情報をいち早く手に入れる事ができた。ustreamでNHKやTBSの速報や会見も見られたのもありがたかった。

今回は本当に他のメディアが充実していたため、テレビや新聞を見られないという不足感を感じなかった。(海外からだとKeyHoleTVというフリーソフトを使う事で、日本のテレビやラジオも一応チェックする事はできるのだが、画質や音質がそれほど良くないためほとんど使っていない。)メールやfacebookで周囲の人たちからも徐々に日本各地の様子が伝わって来た。

海外にいるにも関わらず、こんなに精神的に近く災害を感じることができて、よかったと思っている。巧い言葉が見つからず、おかしな表現なのは承知だが、安全な場所にいるからこんな事を書いているのではない。数年前に母方の祖父が亡くなった時に、僕は日本へ帰らずオランダにいた。葬式にも出られず、翌年一時帰国した際に墓参りをし写真などを見たものの、どうも自分の中で彼の死が宙づりになってしまったのだ。

わかりにくい話ですまない。災害も死も、どれぐらい自分の感覚に引き寄せて体験するかで、その後の思考や想像力に大きな影響を与えると思う。阪神・淡路大震災から数週間後の神戸に父の仕事にくっついていった中学生の僕は、電車の中からブルーシートで屋根が覆われた町を見たし、斜めに崩れたビルが残る街の中を歩いた。「見ておく事はきっと意味がある」という父の言葉に納得しつつも、ボランティア活動をするでもなく「ただそこにいる」自分に後ろめたさが混ざりつつ訪れた罹災後の街。それでも、今にして思うことは、その時にその場所で体験するということは、どれだけ通信手段が発達しても埋めようのないものだったという事。

僕は11日金曜日の朝、オランダで第一報を知った。「まだ揺れているような気がする」という友人の感覚は、僕は分からない。それでも気持ちは日本の近くにいたいのだ。明治維新や敗戦に匹敵するような日本史の重要な出来事として記憶されるだろう今回のこの一連の震災、原発の事故をなるべく濃く自分の体験に残して、考えていきたい。

これから「体験を語りあうこと」が必要になってくるだろう。物理的な被災者だけではなくて、心理的に被災した「日本とゆかりのある私たち」全員が、不安やいらだちや知恵や発見を互いに交換することで乗り越えていくようなものなのだと思う。日本人という国籍だけでなく、東北という被災地だけでなく、責任者という現場で働いた人だけでなく、日本列島に住む人だけでなく、「私たち」の震災として。

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